浮世風呂

ソープの街として、全国的に知られる兵庫県神戸市の福原。
古くは福原遊郭として西を代表する歓楽街として栄え、昭和の時代にあっても赤線地域として数多くの妓楼が建ち並び、敗戦後もトルコ風呂が立ち並ぶ地区として栄えてきました。

現在でも、その数は減ったとはいえ兵庫県にあるソープランドのうちほぼ全てがこの街に集まっているということを考えれば、その福原のソープ街の規模というのがわかるのではないでしょうか。

今では全国どこにでもあるような一般的なソープランドばかりが営業をしているのですが、かつてこの福原という街には、地域独特のオリジナルのサービスがありました。

それは、昭和30年~40年頃が最盛期で、「浮世風呂」と呼ばれていたサービスです。

昭和30年~40年というのは、終戦からわずか10年程度しか経っておらず、まだまだ日本は混乱期ともいうべき時代です。

そんな時代の中で、浮世風呂の建物はかつての赤線時代の遊郭の建物を改築して再使用し、畳敷きの小さい風呂付の部屋でサービスが行われていました。

この浮世風呂というのは和風のソープというようなもので、江戸時代の銭湯のことを指すものだったそうです。

ベッドやマットといったソープランド独特のプレイといったものはなく、座敷で酒を飲んだりして備え付けの風呂に入り、バスタオルの上で一戦というような内容だったと伝えられています。

昭和50年頃でも約60件の浮世風呂があったとされていますが、トルコ風呂と違い正式な許可を取っていなかったこと、街が復興して建物が新しく綺麗になり、徐々に本格的なトルコ風呂に移行していったことなどを理由に、現在では見ることのない福原独特のソープとなりました。

今では街を歩いてもその名残を見つけることも出来ないため、まさに幻のソープと言えるでしょう。

そういった歴史を持つ福原ですが、現在では日本でも3本の指に入るほどのソープ街として名を馳せています。

格安から高級まで全てのランクのソープが揃っており、予算の有無にかかわらず楽しむことが出来るでしょう。

さらに、福原のソープの特徴として、在籍しているソープ嬢の年齢が全体的に若い人が多いという傾向があります。

街全体のソープの数や在籍女性数から見ても、30代以降の女性というのはかなり少なく、多くが20代の女性ばかりです。

20代の若い頃は大衆店の多い福原で技術を積み、30代以降になったら雄琴などの近隣の風俗街へ移ってしっかりと稼ぐという方も珍しくないそうで、そういった辺りに現在の福原のソープの立ち位置、そして今後の福原が見えてくるのかもしれません。

湯女華

福原で唯一の和風ソープはこの湯女華というお店